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■荻田 幸雄 (おぎた ゆきお) |
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昭和12年大阪府生まれ。36年大阪市立大学医学部卒業。41年大阪大学大学院医学研究科修了。大阪市立母子センター副所長、大阪市立大学医学部産婦人科学教授などを経て、平成12年大阪市立大学医学部附属病院長に就任。14年に退職後、近畿大学文芸学部芸術学科三年次編入、16年卒業。 |
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医師から画家へ転身 |
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僕は元々絵を描くことが好きで、高校時代は美大に行くとばかり思っていました。そのために一生懸命デッサンの勉強をしていたんです。しかし、僕の兄が医学関係に進学していたこともあり、父から美大へ進学することを反対され、「医者になったら絵が描ける、絵描きになっても医者はできない」と言われました。それがきっかけで、医学へ急遽変更したんです。それからは、絵を見てしまうとそちらにのめり込んで、医学がおろそかになりそうだったので、50年近く絵も見なければ、描くこともしませんでした。しかし、定年間近になって、もう一つの自分の人生である画家の道を思い出したんです。そこで、「もう一度出直して絵を描きたい」と強く思い、家内に打ち明けたら、家内だけでなく、家族全員が賛成してくれたので、迷いなく画家への道を歩み出すことができました。デッサンの予備校にも一年半通い、その後病院を辞め、美術大学の3年に編入できたんです。 何故医者を辞めてまで美術の大学に行き直したかというと、医者でも趣味で絵を描く人はたくさんいるんです。だけど、僕は高校時代に画家として生計を立てようと志したわけですから、本当に画家になりたいのならば、医者であることのみそぎを受けなければならない。つまり、もう一度大学に行き直さないといけないと思ったんですよ。 |
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医者として歩んできた道 |
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医者というのは、選択肢がたくさんあります。その中で、僕は大学で研究に携わるという経済的には一番底辺を歩んできました。僕が大阪市立大学医学部附属病院の院長になる前、「僕が院長になれば、君たち医局の者は大変だよ」と言っても、「それでもいい」と言われたんです。「それだったら院長になろう」と思い、周りのみんなに推されて院長になれました。僕は大学で、部下を叱ったことがなく、優しいと言われてたんですよ。しかし、人物評価になると、すごく厳しい。「これをいつまでにやれ」と言って「やれない」と返事が返ってくると、僕は自分の経験を照らし合わせた上で、その人にはやる気がないと判断するんです。誰でも、時間や暇は自分で泥水を分けるみたいに作らないとできない。時間がないというのは、全くの言い訳なんだと。気持ちがあるけれど行動しないというのは、やる気がないということなんです。
僕は医学会では異端者であったことは確かです。というのは、医学よりも他にしたいことがあったのにという気持ちがあったので、医学にめり込めなかった。のめり込んでいたからこそ、院長にまでなれたとも言われますが、僕は猪突猛進で次から次にこなしてきただけなんです。僕の先任が定年を迎え、教授選が始まるというときに、誰が出るのか噂で聞いた僕は、「あの人たちに負けない」と思い、業績論文をまとめたんです。本当は、大学を辞めて大阪市立母子センターに行きましたから、診療さえしていれば、研究なんてしなくてもよかった。だけど、結果的に評価をしていただいて、大学病院の教授や院長にも選ばれたんです。業績論文をまとめたのも、単なる趣味と好奇心だけ。これができたら、この原因がわかったら面白いだろうと、それだけでやってきたんです。だから、僕は診療の残りの時間や土日を潰して論文を書いても苦になりませんでした。母子センターで診察をしながら論文を書くのも、やる気があるからこそできることで、その時書いたものが一番質と量があり、いい論文が書けたと思います。しないというのは、やる気がないということなんです。
僕のモットーは「言葉より行動」。行動を伴わない言葉は、聞くだけ時間の無駄であり、夢を語り合うのもいいけども、結果的に振り返れば、時間つぶしをしただけで、そこから何のプラスも生じないのはダメなんです。 |
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才能とは能力ではないもの |
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僕は、人から絵の才能があると言われるんですが、僕の持論は、能力に差はないということ。あるとすれば、趣味と好奇心だけです。僕は自分自身のことをお盆に撒いた米粒のうちの一粒だと思っています。他と違うのは、3年先や5年先のことを考えて、そのために今できることをするというだけなんです。実際に僕はアトリエを持つ3年前から、美大に行くにはデッサンの技術が必要だから、予備校に通った。そういう風に、最短でも3年先を読んで今行動する。ただそれだけです。でも、僕みたいな人がたくさんいたら、僕は米粒のままだったでしょう。僕が出会った若い人たちは、みんな目の前のことばかりで、5年先10年先のことを読んでいないんですよ。それを我々が、「それは違うよ、こういうのもあるよ」と教えてあげることが大切なんです。 |
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原理を理解する勉強法 |
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高校から大学に進学するのは、普通は大変な事なんですが、僕は急遽医学に進路変更したので、時間もあまりなかったんです。ですから、勉強法というと、周りが問題集で何問も解いている間、私は例題だけを回答を見ずにしていました。例題ができれば、後は応用だけですから。勉強の原理を理解しているから、センター試験の問題は今でも時間をかければ解くことができますよ。
僕は今でこそ数学が得意といえるんですが、小学生のときは苦手でした。小学校2年で疎開していた時、1年半は不登校していたので、他の生徒と学力の差がついて、算数は全然できなかったんです。そんなとき、分数の授業があったんですが、当然僕は理解できるはずもなく、居残りさせられました。そこで先生はミカンを持ってきて、「これをむいて袋を数えてごらん」と言ったんです。そのミカンには、袋が10個あって、その先生は「ミカンは1個の実でしょ。その中の袋の一つを10分の1というんですよ」と教えてくれたんです。それで僕は一発で分数を理解できるようになりました。そして、それからは算数が得意中の得意になったんです。つまり、数学は文字じゃないんですよね。
絶対に言えることは、『覚える』ということには、3つの要素が必要ということです。知識を得る力、それを維持する力、思い出す力。この3つがなかったら、『覚えた』とは言わないんですよ。でも、数学や物理は、覚えるといってもインパクトが弱いから、記憶が続かないんです。でも、僕が教えてもらったミカンの話のように、一つでも原理を理解できれば、年老いても絶対に記憶に残るんですね。
6月に一人の美大を受けたいという人が「デッサンの予備校に行ったら、もう遅いとすべて断られたので、デッサンを教えていただけませんか」と来ました。僕はその人にデッサンのエッセンスを教えてあげたんですよ。「突き詰めれば、絵の描き方の要点は1個か2個しかない。それだけしっかり身に付けるといい」と教えたら、その人は見事美大に通りました。
数学に関しても絵を描くことにしても、特殊なものというのは見かけだけで、中身のコツはどれも同じなんです。そういうことを教えてくれる教育が今はないのが残念だと思いますね。 |
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