関塾ひらく「インタビュー」 各界で活躍する著名人に教育や経営をテーマとしたお話を伺いました。
学校法人産業能率大学 監事 小林末男氏
人間を尊重し、 これからの社会を見据えた教育の考え方
 
Profile
昭和3年、北海道生まれ。
学習院大学から法政大学卒業。
大正製薬(株)を経て、産業能率短期大学助教授、拓殖大学教授・商学部長・北海道短期大学学長.産業能率大学常務理事教授を歴任。
現在、産業能率大学監事。
著書は「共創のコミュニケーション」(三省堂書店)、「人間信頼のリーダーシップ」(東京新聞出版局)など多数。


経営管理分野の第一人者として経営管理の理論と実践を研究してこられた小林末男氏。教育者になる決意をされて以来、教育に対して深い愛情と情熱を注いでこられました。小林氏に、ご自身の経験を交えた教育に対する考え方をお伺いしました。

「経営の基本は客を大切にすること。人間に働きかけて価値を実現させる行為は、経営も教育も同じ。教員になったら学生を尊重し、大切に育成することが第一」。小林氏は、大正製薬元社長から言われた言葉を深く受け止め、それを教育者としての信条とされてこられました。教育の原点、経営の基本を忘れることなく、目的・目標の達成に向かって努力することの大切さを考えさせられます。


教育の社会へ


 1928年の秋、風光明媚な北海道南部、有珠山の麓、洞爺湖畔の山村で今は亡き高畑藤大、コユキの9人兄弟姉妹の8番目として生まれました。
小学校は全体で約60人、先生は校長1人で1年生から6年生までが1つの教室で授業を受けました。実直で誠実な先生に強烈に惹かれ、将来は必ず教師になろうと幼な心でしっかりと決意したんです。
昭和の初期は世界経済恐慌から満州事変へと著しく変動し、戦時色が日を追って濃厚となった時代です。
北海道立帯広中学に学んでいた私は、当時の状況下で学校にとどまって勉強を続けることに意義を感じることができず、中学を退いて教員になる事を心に決めました。
こうして私は、18才にして北海道勇払群野安部太小学校の代用教員となり教壇に立つことになったのです。
担当した大部分の児童は、朝鮮半島からの人々の子供たちで、戦争末期は人間性軽視の風潮が極めて強く現われていました。教員としてこのような人扱いがまかり通る、狂気じみた当時の動向にはげしい怒りを感じ、小さい児童達を守るために、力一杯頑張り、教育の社会で生き抜いていこう、と固く決意しました。

経営実務と教育

1954年秋、学習院大学を中途退学して株式会社の大正製薬株式会社に入社しました。経営の神様といわれた松下電器株式会社の松下幸之助氏を抜いて、申告所得日本一ともなった上原正吉氏が統括されていた大正製薬は、創造力の発揮を尊重していたこともあって、活力に満ち溢れていました。
私の仕事は、倉庫課で製品管理を担当したのを手始めに、貿易課で輸出入の実務をこなしたり、事務機械を受け持って情報の管理を責任的に処理することでした。
情報を担当する立場だったので、当時の上原正吉社長に接触する機会が比較的多くありました。経営者・実務者・人間としてのあり方について、教えられたことがたくさんあり、今思い出しても感動するほどです。
そして上野一郎先生から、特別なご配慮をいただき、産業能率大学の教員に内定しました。その時、上原正吉社長から次のような助言いただきました。
まず、「経営の基本は客を大切にすることだが、君も教員になったら学生を大切に育成することが第一だ。これが教育そのものであり、経営概念にも相通ずる。学生のため他の先生とは一味違うと思わせる理論を構築し、それを彼らに提供することが結果として学生を大切にすることになる」とおっしゃいました。私は他の先生方が経験していない経営現場の実際的なことを経験しているので、これを基にした経営学をまとめて教育すれば、他の先生と異なる内容指導ができ、これが学生を大切にすることにもなる、との思いを強めました。
次に大切な事として、コミュニケーション、マーケティング能力を挙げられました。会社が客を大切にする価値ある商品を開発し、それを提供するのが販売でありマーケティングです。そんな企業活動と同じように「他の先生にはない実務志向の経営を体系づけ、その理論を提供するための技術、即ちコミュニケーション能力を身につけこれを駆使するのが君に期待する経営学教育だ」と力強いお言葉をいただきました。
例えば、特定品質の商品を特定数顧客に届けるという約束をしたら、その商品を届けたという状態にするのは当然のこと。口先だけで実行が伴わないのは、絶対避けなければいけません。ですから、教育現場で8時半から10時迄が授業時間と約束したのであれば、定刻前に教室に入り、挨拶をしてから充実した授業をはじめ、定刻まで講義をし、挨拶して授業を終わるようにする。これもまた学生を尊重し、学生を大切にする基本中の基本のことだと教えていただきました。しかしこれは、案外行われていないものです。「経営は人間に働きかけて価値を実現させる行為という点からすれば教育の考え方も、人間が人間に働きかける行為であり、お互いに尊重し合うための約束ごとが必要だ。これに立ち向かう意気込みで学生たちの教育に当たって欲しい。厳しい会社規則の中で実績をあげた君には出来る筈だ、頑張ってくれたまえ」と上原正吉社長は言われました。
これらの助言・アドバイスはのちに私自身の教育信条となりました。


教育の実践

大正製薬株式会社で約8年間、経営実務の経験をしてから、産業能率大学の教員となり拓殖大学で5期の間学部長を務め、同大学北海道短期大学長の任期途中から、再度産業能率大学に復帰し、経営権を持つ常務理事として在籍していました。類稀な力を発揮されていた上野一郎同学理事長・学長(当時・現最高顧問)先生のご指導と、副理事長(当時・現理事長)先生の友愛あふれる指導と全学の協力のもとに、同大学の大きな改革に取り組んだ訳です。また特異な徳育教育で高く評価される秋草学園の理事も兼任していました。
産業能率大学での具体的な狙いを、成果主義(目標管理)の充実、組織の状況適応的動態化(教学責任者選任制改善)等に置きました。最近の国立大学等の法人化に伴う教育改革の先駆施策が達成しつつあったので、私は2001年(平成13年)3月に、経営者として約10年という長期在任によって起こりがちな淀みの弊害を避けるため、自ら常務理事教授の職を辞しました。
そして3年の期間をおいて、大学の更なる社会的責任を果す機能発揮試査の役割である産業能率大学監事に、本年6月に復帰着任しました。
ところで、教育の原点は家庭、さらに言えば親子の関係にあります。親子関係の前提は夫婦関係です。夫婦の愛の結晶である子供を一生懸命心を込めて育てる。このように子供が育つようにしていくのが夫婦を核とした家庭です。その家庭が社会のあらゆる仕組みの原点であるとも言えます。
その点で、現在の社会状況や政策、さらにはこれらに大きな影響を与えた教育者のあり方に、私自身大きな反省をふくめて問題を感じています。


教育問題と今後のあり方

 最近、教育基本法の改変をはじめ、教育体制、福祉政策や少子化対策、ジェンダーフリーなどの政策などがさかんに議論されています。これらの政策に共通されているのは個人を重視するという考え方で、家庭教育や学校教育・社会教育、さらには塾などの教育のあり方と深い関連があります。人間一人ひとりを重視することは大切ですが、教育の方向性を一歩誤ると社会主義的考え方と偏重的に結び付いて、社会の基本・原点である家庭を軽視することになる危険があるのです。
社会福祉や介護制度を充実させ、老人や小さい子供が安心できる仕組みや組織を作っていくのは大切なことです。しかし本当の愛を基調とした家庭の尊厳を忘れてはいけないと思います。これを忘れて個人の成長と社会発展は家庭でなくてもいいということになってしまうと、先祖、子孫との純粋な一連性が希薄になるおそれがあります。
複雑で多様化した社会構造組織に併せて、それぞれの組織の目的・目標にマッチした措置を積極的に講ずべきです。教育機関としての小中高入学はもちろん、教育上で存在価値のある塾の目的・目標を充分理解していくことが重要です。そしてお互いが、連携と協力の効果を大なるように取り組まなければならないと思います。


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