関塾ひらく「インタビュー」 各界で活躍する著名人に教育や経営をテーマとしたお話を伺いました。
株式会社 吉寿社 相談役 神吉 武司さんに聞く
厳しさのなかにのみ成長はある、常に本物を追求し挑戦を止めない
 

産経新聞社専務取締役大阪代表齋藤勉さんに聞くProfile 1937年沖縄県石垣市生まれ。1966年に兵庫県尼崎市でエーデルワイスを創業し、2002年からは会長に就任。現在はアンテノールなど計8ブランドを展開している。国内外のコンテストで多数の受賞歴があり、洋菓子業界の発展に尽くしてきた。旭日双光章、レオポルド2世勲章コマンドール章(ベルギー)。兵庫県洋菓子協会会長、日本洋菓子協会連合会副会長を歴任、尼崎商工会議所副会頭を務めている。

『たった一人の熱狂』増補完全版


創業時からの精神「忍耐と信用」
会長室に掲げられた「忍耐と信用」の文字。比屋根会長自身が揮毫したという力強い文字には、修業時代や創業当初の苦難のなかから得た経営者としての哲学が込められています。 

アンテノールやヴィタメールなど、8つのブランドで全国に77店舗を展開するエーデルワイス。
創業者・比屋根毅氏は、日本の洋菓子草創期に洋菓子店を全国にフランチャイズ展開したほか、100人以上の弟子を育てた“日本洋菓子界の父”。80歳を迎えてもなお、衰えることのない情熱と探求心の根底にあるものとは?

■故郷・石垣島を飛び出た15歳の覚悟

  石垣島のサトウキビ栽培農家に生まれ育ちました。日々の暮らしにも苦労する両親を見て、12歳頃から「島を出たい」と思っていました。さらに、偶然目にしたアメリカの月刊誌「リーダーズ・ダイジェスト」で海上無線通信士という仕事を知ったときから、世界を舞台に仕事をしたいという思いが膨らんで、誰にも両親にも告げずに島を出たのが15歳。高校入試の当日に、試験を受けるふりをして那覇行きの船に乗り込んだのです。姉だけが、着替えを詰めた風呂敷を持って見送ってくれました。船が島から遠ざかる間、「今なら泳いで帰れる」という思いもよぎったけれど、もう後戻りはできない。郷愁を断ち切るために、その後10年間、家族には手紙の一枚も書きませんでした。そのくらい強い覚悟で島を出たのです。
 まず那覇で2年間働き、その後17歳で大阪に出て製菓会社に就職しました。働きながら夜間学校に通って通信士の勉強を続け、試験を受けたのですが、結果は3回とも不合格。そんな時、当時の社長から「職人として頑張れば、洋菓子の本場ヨーロッパに行かせてやろう」と言われ、これを新たな目標として洋菓子の世界で生きていこうと決心しました。

■厳しい修行の日々切り開いた独立への道

  その後、20歳で兵庫県尼崎市の製菓会社に移ったのですが、「1年のうち3ヶ月間は無給でいいから修行にいかせてほしい」とお願いしたのです。東京を中心に全国の名店に出向いて修行を重ね、多くのことを学ばせていただきました。修行以外の日々は、誰よりも朝早く出勤して掃除をする。菓子を売りに行けば、すべて売り切る。そうした日々の中でも、辛いとは感じませんでした。琉球空手の達人だった祖父に、6歳から厳しく鍛えられて培った体力と精神力が生かされたと思います。そしてもう一つ、まだ返還前の沖縄から初めて本土に出てきたときに感じた、沖縄人への侮蔑。これが「日本一の洋菓子職人になろう」と私を奮い立たせました。
 そうして技術を磨いて挑んだのが、昭和40(1965)年に開催された「全国菓子大博覧会」。出品した「大阪城天守閣」が工芸文化大賞を受賞したのです。これが転機となり、翌年には29歳で独立。尼崎のわずか7坪の土地に「エーデルワイス」を創業しました。
 ところが、当時はまだ洋菓子店も少なく、なじみの薄い時代。まして田んぼのなかの小さな洋菓子店には、お客さんはほとんど来なかった。「食べてもらいさえすれば、わかってもらえる」という自信はあったものの、とうとう閉店を覚悟した頃。最後の賭けで、無料でお客さんにお菓子を配りました。すると、翌日からお客さんが押し寄せてきたのです。次第に地域での評判が広がり、妻や従業員に支えられ、店は徐々に軌道に乗り始めました。

■人生を変える出会いに恵まれた欧州留学

 そして、開業の翌年には念願だった欧州修行も実現。とは言え、フランスには何のツテもなく、言葉も話せませんから、洋菓子店やパン屋などをはじめとする名店に飛び込みで修行させてほしいとお願いして、住み込みで働かせてもらいました。働きながら、休日にはドイツやベルギー、スイスなどにも遠征し、本場の菓子文化に触れ、多くの技術を学びました。
 そしてそれ以上に、その後の人生に影響を与えたかけがえのない人たちとの出会いに恵まれ、また多くの教訓を得ることができたのです。それが、現在当社の主力ブランドである「アンテノール」や、ベルギーの老舗菓子店と提携した「ヴィタメール」の立ち上げにもつながっています。
 また、こうした自身の経験を社員にもしてほしいという思いから、当社では毎年技術者を数名、欧州へ研修に出しています。

■ 何もないところから一日は始まる

  「人生無一事」。これは、私が大切にしてきた言葉の一つ。何もないところから一日が始まるという意味です。今日悪いことがあっても明日に引きずらない。逆に今日良いことがあっても決しておごらずに明日を迎える。一日一日を大切にする、決してあきらめないということにもつながります。
これまで、自分の技術を磨きながら、新しい技法の研究にも積極的に取り組んできました。ふんわりとしてかつ崩れない生クリームもその一つ。このクリームを使った生シュークリームは行列ができるほどヒットしました。
こうした新技法を考えるとき、ヒントは過去の経験のなかにも、一見何の関係もない日常のなかにも隠されているものです。大切なのは常に問題意識を持ち、洋菓子のことを考え続けること。そうすれば、不可能はないと思っています。
工場は大きくなり、私たちは日々何万個ものお菓子を製造しています。私たちにとっては何万個のうちの一つだとしても、お客さんにとってはその一つがすべて。社員には、一つ一つ誠意を持って、手を抜かないように作ってほしいと伝えています。
どんなに名声を得ても、才能や技術におごり、義理人情を欠いたり、謙虚さを失ったりしてはいけません。これは、職人として一番重要なこと。この思いや姿勢は、多くの弟子や社員が引き継いでくれています。

■ 人生は冒険に継ぐ冒険常に挑戦を

 「味の世界に行き着くところはない」。欧州留学中に何度も門前払いされながら、後に深い親交を結ぶことになった、パリの名門フォションのオーナーの言葉です。この言葉に出会えたからこそ、今も新たな挑戦を続けることができています。
 振り返ってみれば、私の人生は冒険に継ぐ冒険。常に新たな可能性を探求し続けてきました。創業から50年を経て、ようやく基本にたどり着いたと思っています。当社は今年、通年販売する定番品を設けない洋菓子の新ブランド「HIBIKA(ひびか)」を立ち上げました。これも新たなチャレンジの一つ。厳しさの中にしか、成長はありません。本物を追求し続け、チャレンジを止めない。現在、日本の洋菓子業界は厳しい状況にありますが、これからも業界の発展に貢献していきたいと思っています。 


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