関塾ひらく「インタビュー」 各界で活躍する著名人に教育や経営をテーマとしたお話を伺いました。
近畿大学 経営学部 経営学科 教授 藤井 純一氏
互いを知り価値観を共有してこそ、組織は強くなる
 
Profile
1949年大阪府生まれ。
近畿大学農学部卒業後、日本ハム株式会社に入社。販売部、広告宣伝室などを経て、97 年にJリーグクラブのセレッソ大阪(大阪サッカークラブ株式会社)取締役事業本部長、2000年に同社社長。05年に株式会社北海道日本ハムファイターズ常務執行役員事業本部長、06年に社長就任。日本一(2006年)という成績を残しただけでなく、両社において黒字転換・地域密着を成し遂げた。2011年、退任後は近畿大学経営学部教授(2014年1月現在)。
セレッソ大阪と日本ハムファイターズの社長を務め、黒字転換・地域密着型のチームづくりを実現した藤井純一氏。 競技の枠を越え、異なる地域でミッションを成し遂げた、ビジョンに基づく“ブレない”組織づくりと徹底した「ファンサービス・ファースト」の精神について伺いました。

嫌われてなんぼ 社内の意識改革を断行


セレッソ大阪の取締役に就任したのは1997年。もともとは、大学卒業後に日本ハムに入社し、11年間営業としてハムを担ぎ、トラックで関西一円を駆け回る日々を送っていました。その後、店頭販促から広告宣伝室へと異動。広告宣伝室時代に、ちょうどヤンマー(株)からサッカーチームをつくる企画を受け、準備室の段階から設立に関わっていたこともあり、取締役に任命されたのです。マーケティング用語なんてほとんど知りませんでしたが、私は元来好奇心旺盛で、新しいことに挑戦するのが好きですから。目標が定まったらどうやって達成するかという戦略を練ってアクションを起こすのみ。不安やとまどいはありませんでした。
赤字経営だということは分かっていましたが、大きな問題は他にありました。その頃の社員は、ほとんどが親会社三社からの出向で、「どんなに赤字でも給料は出る」というぬるま湯に浸り、目標も危機感もありませんでした。意識改革なくして組織改革はできません。まず、何人かの出向社員を親会社に戻し、新卒・中途採用を断行しました。もちろん抵抗も大きかったし恨みもたくさん買いましたが、「嫌われてなんぼや」と思っていたから気にしない(笑)。一番に考えるべきはファンのことであり、社員一丸となるためには当然のことだと考えていました。


“自転車で20分の範囲”で愛されるために

社内の変革と同時に進めていったのが、地域密着型のチームづくりでした。では地域に愛されるクラブとは何か。これを学ぶため、2000年の社長就任後に訪れたのが、ドイツの名門サッカークラブ「バイエルン・ミュンヘン」です。約1ヶ月間毎日、さまざまな業務を研修させてもらいました。ファンサービスのあり方を含め、クラブ運営に関わるすべてをここで学んだと言っても過言ではありません。セレッソでは、そのノウハウを日本流にアレンジして実践していったのです。
しかし当時、大阪ではすでにガンバ大阪が人気を確立しており、ホームスタジアムである大阪長居スタジアム(大阪市東住吉区)周辺の住民でさえ、ガンバは知っていてもセレッソは知らないという状況。地域密着型のチームづくりの前提として必要だったのが認知度向上でした。そこで、ガンバの本拠地である大阪府北部では勝負せず、思い切って南部、しかもスタジアムから「自転車で20分の範囲」に絞り込み、まずは近隣の方に知ってもらえばいいと判断したのです。あとはベタベタの営業活動ですよ。商店街の店を一軒一軒回り、町内で盆踊り大会があれば参加しました。盆踊り用に「セレッソ音頭」を作って一度でいいから流してほしいと頼み込んだこともあります。アイデアがあればまず実行、失敗したらやめればいい。大切なのは1にスピード2にスピード、考える前にアクションを起こすことです。アイデアを果敢に実践していった結果、サポーターと話し合いを行う月に2回の「サポーターズミーティング」やアウェーの試合を観戦する「アウェーバスツアー」などの画期的なアイデアが生まれ、着実に実を結ん
でいったのです。こうして、黒字転換と地域に愛されるチームづくりという目標を成し遂げた2004年、セレッソの社長を退任しました。


新天地での新たな挑戦

退任後、日本ハムに戻ったのも束の間、日本ハムファイターズの事業本部長に就任します。待っていたのはまたも大赤字と、そんな経営状態にも関わらず危機感のない社員たち。ちょうどファイターズは、チームの再起を賭けて本拠地を東京から北海道に移したばかりでした。黒字転換と新たな本拠地での地域密着というミッションはセレッソと共通していますが、違うのは人の気質。北海道の人は非常に地元愛が強い。関西で生まれ育った自分が改革に挑むには腹をくくらなければと、単身赴任はせず夫婦で北海道へ移住しました。 着任早々、風通しの良い組織をつくるために、大幅な組織改革に取り組みました。第一に部を廃止し、セクト主義を排して新たにグループを編成。人事異動を頻繁に行い、さまざまな業務を体験させるという試みもしました。また、一体感を醸成するためには、グループを越えた情報共有が不可欠です。横断的なプロジェクトの企画、チーム同士で競争させるといった仕掛けも効果的でしたね。  私は社長室が嫌い。社員を見渡せる位置にデスクを移動させ、一人ひとりよく見て、動き回っては声をかけるのが私のスタイルでしたね。

スター選手や成績で客を呼ぶな

地域密着を進める上で説き続けたのが、「スター選手や成績で客を呼ぶな」ということ。選手はいずれいなくなり、成績は変動します。ファイターズは2006年に優勝しましたが、あれは地域密着への“特急券”のようなものです。一過性の人気に惑わされず、チームとして長く愛されるには、地域の“必要材”にならなければいけない考えています。極端に言えば、たとえ親会社が運営を止めると言っても地域の人に守りたいと思ってもらえてこそ、成功なのです。
ファイターズにとって幸運だったのは、初めからファンサービスに対する選手の意識がとても高かったことでした。中でも、メジャーリーグを経験した新庄選手の影響が大きかった。アメリカ仕込みのファンサービスを率先して実践し、チームを巻きこんでいきました。さらにアメリカ出身のヒルマン監督が、ファンサービスは当然という考えだったこともよかったですね。負け続きだったチームも徐々に明るくなり、選手たち自身が、大勢のお客さんの前でプレーできる喜びを実感していました。
こうした姿勢は、ファームスタジアムである千葉県の鎌ヶ谷スタジアム(通称:鎌スタ)まで波及しています。広大な北海道ではできなかったベタベタの営業活動、鎌スタ祭など独自のイベントを運営し、地域密着を実現。地域の中で選手を育てることで、2軍時代からファンサービスが身に付くと同時に、モチベーションアップにもつながっています。

ビジョンを柱にブレない組織をつくる

企業にとって最も大切なのは、“ブレない組織”であることだと思っています。スポーツビジネス界は特殊な世界と思われがちですが、ファンサービスを第一とするサービス業という点では、塾でも他企業でも同じです。どこを向いてどういう仕事をするのかを忘れてはいけません。
スポーツビジネスはいわゆる集客ビジネスですから、「ファンの人たちあってこそ」という意識がなければ成り立ちません。“そして、ブレない組織”は「こんなチームを目指す」「こうありたい」という明確なビジョンを描き、選手と社員が共有してこそできあがるものです。それが、ファイターズの企業理念「スポーツと生活が近くにある社会=Sports Community」であり、活動指針「ファンサービス・ファースト」。このビジョンを社員が共有し同じ方向を向いて初めて、本当の意味でファンに愛されるチームが育つのです。 

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