関塾ひらく「インタビュー」 各界で活躍する著名人に教育や経営をテーマとしたお話を伺いました。
(株)ミキハウス社長 木村皓一氏
既成概念にとらわれることなく“他社にできないこと”への飽くなき探求!
 
Profile
1945年滋賀県生まれ。
関西大学中退後、野村証券、父親の経営する婦人服縫製会社を経て、1971年に子供服の製造・卸会社を創業。
夫婦2人、6畳2間のアパートが出発点だったが、後に世界に通用する子供服のトップブランド「ミキハウス」へと成長。
現在では、一メーカーという枠を超え、出版事業や幼児教室運営など、さまざまな領域で幅広く事業を展開。「総合子供文化産業」の担い手として、常に市場をリードし続けている。



まさにオリンピック・イヤーとなった2008年!子供服のトップブランド「ミキハウス」の社長であり、これまで数多くのトップアスリートの育成に大きく貢献し続けてきたことでも知られる、株式会社ミキハウス社長・木村皓一さんにお話をうかがうことができました。今や、オリンピックや世界選手権をはじめとする国際大会で活躍し、メダル保持者となった柔道家の来歴について綴られる文章の中で、「柔道の名門」と評されることが自然となったミキハウスですが、柔道にしても卓球にしても、木村さんが選手を引き受けはじめた頃は、まだ世間では今よりずっとマイナーなイメージだったのだそう。まさに先見の明あり!並々ならぬ懐の深さを感じさせられます。温厚な笑顔の奥にのぞく、木村さんの、年齢を重ねてなお磨きがかかる柔軟な発想力とパワーの源に迫りました。

パート・タイマーが作ったソフトボールチームがきっかけ


妻と2人で力を合わせ、会社を立ち上げたばかりの頃のことです。 パート・タイマーとして頑張ってくれていた女性従業員たちが、スポーツウェア姿で仕事に励んでいる光景を目にしまして。聞けば、朝からソフトボールでひと汗かいてきたというじゃないですか。そのソフトボールについて楽しそうに語る彼女たちは、目がいきいきとして輝きが違うんです。とても清々しい、いい表情をしていました。チームを作ってから就業前や休日などを利用して練習に励み、八尾市の大会などにも出場したりしたのですが、いかんせん弱くて。一向に勝てないわけです。ユニフォームに我が社の名前を入れてプレーしているということもあり、見守る側としてはついつい熱が入ります。とうとう見るに見かねて、新入社員を募る際の条件に「ソフトボールの経験者を歓迎する」と掲げるなどして腕の立つ選手を集め、チームの強化を図りました。すると、わずか2〜3年のうちに連戦連勝し、気軽に対戦してくれるチームが周囲に見当たらなくなってくるほどまでの強豪チームへと成長したのです。思えばこれが、スポーツ事業に力を注ぎはじめたきっかけになるでしょうね。


ブレがなく努力を惜しまないスポーツマンの姿に多くを学ぶ

「どうして、そんなにスポーツ事業に力を入れられるのですか?」と聞かれることがあります。その背景には、「やはり、スポーツ事業は企業イメージを良くし、社会的な認知度を高めてくれるから?」と見る向きもあるでしょう。当社としては、そこを狙ってスポーツ事業を始めたわけではありません。ですが実際、スポーツ事業の成功がもたらすイメージアップ効果は、はかり知れないものがあります。
でも、これまでを振り返ってみて、私は純粋に、スポーツに情熱を傾ける人の、志の高さ、清らかさ
に、無条件に引き込まれていました。そして、気がつくとここまできたのだと感じています。目標に向
かって、自らの精神力・運動能力、技術をより高めていきたいと願って日々過ごしている彼らは、まず、心にブレがありません。夢を叶えるための努力も惜しみません。常に自分自身をしっかりと持ち、信念にのっとってより高いところへと歩もうという姿勢を我々に示してくれます。
思えば、こんなエピソードもありました。我が社が道場を開いた当時は、まだ女子柔道には実業団も存在せず、「柔道の技を極めたい」と切に願う将来の選手候補生の受け入れ先がないような状況だったのです。
ですから、我が社がその足がかりを作ったといっても過言ではないのですが。その頃、外部から、我が社所属の柔道選手のマナーを高く評価される声をいただくことが何度かありました。きちんとしたコーチをつけ、技・マナーともにその道を極めるというということの素晴らしさを、目の当たりにした出来事でしたね。
もちろん、トップアスリートと呼ばれる選手たるもの、怪我や故障などの思わぬアクシデントや周囲の期待が寄せられることへのプレッシャー、強力なライバルの出現、新たなチャレンジを前にふと考え思い悩み、不安に押しつぶされそうになることも、多々あることでしょう。
だからこそ、彼らから発せられるパワーには、人を不思議に圧倒し、励ましてくれる強さがあります。それが、何なのかが上手く言い表せられないのが時にもどかしくもなりますが、彼らの逞しさひたむきさに感化され、この歳になってもまだまだ日々、新しい発見や気付きがあることは幸せなことです。私にとってこれは「巡りあわせ」「縁」なのだと受け止めていますし、これからも大切にしていきたい宝物でもあります。


選手育成にあたっての使命感や責任感について

我が社のスポーツクラブに所属する選手は、同時に社員でもあります。「そうは言いながら、実際の業務についてはこなす必要はない(免除されている)のでしょう?」と訊ねられることがあります。これについては例えば、日中、何時間もの間、プールの中で練習に励むことになるシンクロナイズドスイミングの選手など、実質的に社員としての業務にはほぼ従事できない者も一部おります。一方で、商品搬入をはじめとした一般業務に就いてもらっている選手も多々おります。ともに働くことで、選手と他の社員たちがより強い連帯感や絆で結ばれ、互いの夢や目標に向かって時に協力し励まし合い、一丸となって邁進してくれるものと信じているからです。
要は、既成概念に捉われて、本質を見失わないように心掛けているということです。臨機応変に、柔軟に対応していくことが大切なのです。
また、「他の社員と変わらない給料を払って、社を挙げてバックアップしているのだから、結果を出してくれなければ困る」という強いプレッシャーを選手に与え続けてしまうようなことも、したくはありません。
もちろん、闘うからには「結果がすべて」の世界でもあります。しかし、選手がのびのびと、存分に力を発揮できるチーム環境、ホームグラウンドを用意してあげることができないのであれば、「スポーツ事業に広く、大きく貢献しています」と公言する資格はないとさえ思っています。常日頃からプレッシャーや、いつ怪我や故障などのアクシデントに見舞われてもおかしくないという状況下で、自分自身と、そして多くのライバルたちと闘い続けなければいけないトップアスリートたち。彼らを広く温かく迎え入れられる余裕と、強い責任感を持ち続けること。これが、私が自分に課している目標の一つでもあります。


目標は常に高く!捨てる勇気も時には必要

妻と2人で自分の会社を立ち上げた時、小さなプレハブ小屋からのスタートでしたが、そこから、パート・タイマーを雇い、高い能力と志を持つ社員を雇い入れ、そうして、着実に一歩一歩進んできて、今があります。
何かを新しく始める時、事業を大きく展開していく段階ごとに、私が常に意識したのは、「目標は高く」「やりもしないうちから、できないと決めつけない」ということでした。「こんな小さな会社に、名門大を 出たばかりの将来ある有望な若者が社員として働きに来てくれるわけがない」そう思って雇用に関してあきらめてしまえば、その後の優秀なスタッフとの出会いはありませんでした。「こんな小さな会社に銀行が資金を貸し出してくれるわけがない」そう思って資金繰りの交渉をあきらめてしまえば、今のような形にはたどり着いていなかったでしょう。
経営者として自社の成長や発展、飛躍を願い、実現させていくためには、前例や他社・他者が掲げる「常識」に捉われることなく、時にはそういったしがらみを捨て去り、自ら「他社がまだ取り組んでいない何か」に、失敗を恐れず果敢にチャレンジしてくタフな精神力、柔軟性を強みとし続けたいです。

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