関塾ひらく「インタビュー」 各界で活躍する著名人に教育や経営をテーマとしたお話を伺いました。
東幸海運株式会社 代表取締役 笹木秀雄氏
相手の目線に立った対応と目標達成への執念が大事
 
Profile
1949年、広島県因島市(現・尾道市)生まれ。小学校から兵庫県神戸市に移り住み、六甲山を駆け回るなど元気な幼少時代を送る。1968年、甲南大学に入学し、在学中より父の仕事を手伝う。また、入学と同時にワンダーフォーゲル部に入部。この経験が人生の壁を越える基盤となる。1972年、卒業と同時に東幸海運株式会社 代表取締役に就任。卒業後、イギリスでの短期留学中に父の病状悪化の知らせを受けて急きょ帰国。1974年に神戸商事株式会社 取締役に就任し、1983年に同社 代表取締役に就任する。大阪中央ロータリークラブ前会長、全国内航タンカー海運組合 理事、船舶整備共有船主協会 理事を務める。趣味の登山では日本の100名山を登頂し、200名山に向けて挑戦中。



23歳という若さで東幸海運株式会社 代表取締役に就任した笹木秀雄さん。
一貫したスタンスから、2代目の重圧に打ち勝った理由が見えてきました。。


社長として本格始動逆境に立ち向かう


1956年、私の父は神戸市に海運会社を設立しました。主に国内の沿岸を製油所から油槽所、オイルターミナル、空港などへ、重油・灯油・ガソリンなどを運ぶ内航海運です。四方を海に囲まれた日本では、国の大動脈となる輸送機関として、経済発展に大きく貢献してきました。
そして設立から16年後、私は同社の代表取締役に就任。学生時代、ワンダーフォーゲル部(以下、ワンゲル部)に所属していた“山派”の私が、海の仕事を継ぐとは思っていませんでしたけどね(笑)。
実は、父は体が弱く心筋梗塞を患っていましたから、学生の頃から見様見真似で仕事を手伝っていました。重要な決定事項は父に相談し、分からないことはスタッフに聞き、と手探り状態でしたが何とか役目を務めていました。
ところが大学卒業後、イギリスへ短期留学していた私に「父が入院した」との知らせが入ったのです。帰国と同時に社長としての任務が本格的に始まりました。
当時、私は23歳。最初は代替わりによる風当たりも強く、悔しい思いをしました。
社長とはいえ、海運業について何も知らない若造の言うことなど、なかなか受け入れてもらえません。ベテランの乗組員からは見下され、お客様との価格交渉では「2代目では駄目だ。会長となら話をする」とほぼ門前払い。「帰れ」と言われながらも、なんとか交渉しようと客先に一日中座り込んだこともあります。
それが次第に、関係が好転し、私自身を認めてくれるようになります。当時は無我夢中で分かりませんでしたが、今思えば、大学時代に培われた「負けん気」と「執念」、就任当初の「現場目線」に基づく行動のおかげだったのかもしれません。


山が鍛えてくれた負けん気と執念

私の「負けん気」は、ワンゲル部の試練の賜物だと思っています。登山は自分との戦いですが、私の母校ではそれ以上に体制が厳しかったのです。入学当初、同期は20名いましたが、卒業まで残ったのはたった4名。それでも「今年は良く残った方だ」と言われる程、上下関係の厳しい組織でした。
1年次は上級生の荷物も持ち、手足のように動いていました。2年次はちょうど中間管理職のようなもので、先輩と後輩の間を取り持ち、気苦労が絶えません。3年次になると荷物は軽くなる反面、責任は重くなり、4年次になると常に全体を見渡しておく必要があります。つまり、どの年次でも負荷を抱えていたのです。
しかし、振り返ってみると単に厳しいだけでなく、年次に応じた役割と責任があったことが分かります。これが、私の原点。「苦しいけれど、これは必要なことなんだ」と、何事も受け入れられるようになったからこそ、大変なことや辛いことがあっても「なにくそ」と乗り切ることができたのだと思います。
登山は今も続けていますよ。実は、これまで3度挑戦して登頂できなていない山があります。
その山は秋田県にあるのですが、登れないのがどうしても悔しくて「なぜ、最後まで登れないのか」「どうすればよいのか」をひたすら考えました。週末日帰りの旅程で時間を捻出し3年かけて挑戦したのですが、まだ達成できていないので、今年も挑戦する予定です。まさに執念ですね(笑)。
やりたいことを見つけたら目標を決め、その世界に入りこんで一生懸命やること。これは私のモットーでもあります。目標を決めると、それを達成するためにどうしたらよいのか考え、工夫し、努力しますからね。仕事でも遊びでも大切なことだと思います。


子どもの目線でそれぞれの生き方を一緒に考えよう

社長就任当時、大変でも頑張れたのは、仕事が好きだったから。ただし、好きになるまでは好転するように自ら動いていました。そのとき心掛けていたのが「現場目線」です。
周りに認められない状況下にあったとき、「現場を知らなければ何も分からない」と考え、現場に足を運び乗組員の話を聞くよう努めました。自分から信頼関係を切り開いていくことにしたのです。
最初は素っ気ない態度でも、何度も訪れるうちに少しずつ心を開いてくれるようになり、仕事に関する知識も乗組員との関係も深まっていきました。すると、船を好きになり、人を好きになり、さらに仕事が好きになり……。信頼関係を築くことができると、彼らも会社の手足となって働いてくれるようになりました。
私たちの仕事は安全が第一です。6000キロリットルものタンクを持つタンカーゆえに、事故を起こすと大惨事になります。それも一隻や二隻ではないので、安全に対する教育を徹底すると同時に、タンカーを動かす乗組員一人ひとりの意識を高めることが大切です。
そのためには相手の目線に立って、意見を聞くことが大事。「安全に運航できているのは、皆さんのおかげ」とお礼の言葉とともに賞与を手渡し、乗組員との壁を取り払おうとしたこともあります。人材教育や設備などのハード面を整備する一方で、心を通わせるのも大切だと考えたからです。
これは教育にも通ずるのではないでしょうか。
子どもが100人いれば100通りの考え方があります。塾頭の皆さんには、子どもたちの目線に立って、やりたいことや得意なものなどを一緒に考えてあげてほしいと思います。 
子どもたちにとって、塾は学校よりも近く、家庭よりも客観的に話ができる場所。長所を褒めてあげたり、たまには教えてもらうスタンスで話を聞いてあげたりすると、子どもたちの自信につながるのではないでしょうか。
塾・家庭・学校は、それぞれ異なる責任があると思います。責任転嫁することなく、三者が協力してその子に合った教育を行ってほしいですね。それがマニュアル通りではなく、一人ひとりの長所を伸ばす教育だと思います。そして、一人ひとりにいろいろな選択肢があることを気付かせてあげてほしいと思います。



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