関塾ひらく「インタビュー」 各界で活躍する著名人に教育や経営をテーマとしたお話を伺いました。
佐倉アスリート倶楽部 代表取締役 兼 監督 小出 義雄氏
“かけっこ”が好き その思いが夢の実現に導く
 
Profile
1939年4月15日生れ。千葉県出身。順天堂大学時代に3回箱根駅伝を走り、卒業後23年間高校教師として陸上部の指導を続ける。市立船橋高校監督として高校駅伝優勝。88年リクルートランニングクラブ監督就任。全日本実業団女子駅伝2 連覇。97〜02年積水化学女子陸上部監督に就任。現在は、佐倉アスリート倶楽部(株)の代表取締役。これまでに4回の国際大会で女子マラソンのメダリストを輩出。著書に「マラソンは毎日走っても完走できない」「育成力」など多数。

 1992年 バルセロナオリンピック 銀メダル 有森裕子
 1996年 アトランタオリンピック 銅メダル 有森裕子
 1997年 世界陸上選手権 金メダル 鈴木博美
 2000年 シドニーオリンピック 金メダル 高橋尚子



2000年、オリンピックの女子マラソンで日本初の金メダリストを誕生させた小出義雄監督。
肩の力の抜けた口調や豪快なパフォーマンスが注目されがちですが、選手の指導には深い愛情と洞察力、そして緻密さがうかがえます。
小出流育成法と監督自身のパワーの源についてお話しいただきました。


欲しいのはお金よりも金メダル


僕は小さいときから“かけっこ”が大好き。中学校の先生に「勉強はいいから、大好きなかけっこして日本一になれ」と言われ、素直に走ってばかりいました。
小出家の5人兄妹のなかで男は僕1人。高校卒業後、家業の農業を継ぐつもりだったけど、「どうしても箱根駅伝を走りたい!」と19歳のときに家を飛び出しちゃったんだ。上京して順天堂大学に入学し、箱根駅伝で3回走りましたよ。
大学卒業後は、23 年間高校教師を続けて陸上部も指導していたんだけど、千葉県の市立船橋高校に赴任中、市長や教育長から「駅伝で優勝させてほしい」と依頼を受けたんだ。陸上部以外からもメンバーを寄せ集めて作ったチームで練習を重ね、結成から3年目。初出場で千葉県第4位になり、さらに4年目には高校新記録で優勝。その後、女子も優勝したし、インターハイでも優勝しました。
別に練習量が多かった訳じゃない。各区間の区間最高記録は調べればすぐ分かるから、それを破るためのメニュー、つまり日本一になるメニューを作って実行しただけなんです。
その後、40代半ばになって次の目標を考えたとき、「次はオリンピックで金メダルを取りたい!」と思い、すっぱり教師を辞めました。世界中を見回しても、日本ほど環境のいい国はない。そんな国が金メダルを取れない訳がないと思ったからね。
周りからは「給料も待遇も良くなるから、あと5年我慢しなよ」と止められたけど、僕は我慢できなかった。50歳になると体力も気力も落ちてしまう。そうなると「2位でもいいか」って気持ちになっちゃうんだよね。僕にとって大事なのはお金じゃなくて金メダルだったんだ。


目標は10分短縮 やり方次第で人は伸びる

オリンピックで金メダルを取る夢はQちゃんこと高橋尚子とかなえることができたけど、最初は遅かったよ(笑)。大事なのは、まず目標を定めて方法を工夫することなんだ。
当時、Qちゃんと世界記録との差が約10分、距離にして3キロメートルくらいかな。この10分をどうやって縮めることができるかを考えた。
他のコーチなら5000メートルを4本走るメニューなどにするところだけど、距離が長いとスピードが出ない。Qちゃんはスピードを上げて1キロメートルにつき15秒縮めることを目標にしたんだ。これなら4キロで1分、40キロで10分縮めることができる。簡単な計算でしょ(笑)? あとは、その子に合った方法で実行していくだけでいいんだ。
Qちゃんは最初、頭は左に傾き、 足先は横を向いて走っていました。「そんな『嫌だ嫌だ』って格好で走ってると記録も出ないよ」って言っても、簡単に直るものでもない。そこで道路の右側を走ることにしたんです。多くの道路は両脇が沈み、かまぼこ状になっている。通常は左側を走るから、左足の骨盤がずれて長くなってたんだ。2年半、右側を走らせると、体が自然に調整して頭が起きてきた。そのうちバランス良く走れるようになったんだよ。
フォームを直せば速くなるんじゃない。自然な走りはその子の骨格に合ったフォームなんだから、良いところを伸ばしてあげればいい。力が付けばフォームも自然と良くなるんだから。やり方次第で人間はぐんぐん伸びると実感しましたね。


“喜び”を感じる方が断然いい仕事ができる

次に大事なのが、本人に夢を持たせること。その達成までの道を作ってあげるのが僕の役目です。
とはいえ、「金メダルを取れるかも」と思わせてやる気を引き出し、4年間モチベーションを保つのは至難の技。だから夢から逆算して段階別に目標を立てます。そのとき、もう少しで手が届きそうなところに夢を少しだけ持たせることがポイントで、節目節目で「夢に近付いてきたね」って声をかけるんです。
ここで欠かせないのが“言葉”。「行けるよ」ではなく「近付いてきたね」っていう言葉の方が「あと少し」ってやる気を引き出せるんだ。
アメリカのボルダーで高地練習をしていたときも、僕はQちゃんに聞こえるように伴走車から言葉をかけていました。「Qちゃん、いい走りしてるなあ!」「今日は腰が入ってるなあ!これでオリンピックはもらったな」「いい顔して走るねえ!」なんてね(笑)。すると、Qちゃんは気分が良くなって調子もどんどん上がる。酸素の薄いなかでスピードを出す練習はきつい。でも頑張れちゃうんだよね。だから言葉は本当に大事なんだよ。
これは僕のやり方だけど、人間は「嬉しい」「楽しい」「好き」っていう状況の方が、嫌な気持ちでやるよりも断然いい仕事ができる。喜びを感じながら仕事をすると進歩するんだ。
だから僕は怒らない。だって、年頃の女の子がユニフォームを着て練習に出てくるだけで偉いじゃない? タイムが悪かろうが、へたばろうが、怒るところなんて何一つありません。それと、一生懸命頑張ってる人には「頑張れ」ではなく「よく頑張ってるね」で十分。教師と生徒、お互いが気持ちよく過ごしながら夢を追いかけた方が必ずいい結果が出ますよ。
じゃあ僕のモチベーションは何かって聞かれると、ずっと変わらず「かけっこが大好き」という気持ちだけ。寝ても覚めてもお酒を飲んでても、常にかけっこのことを考えてる。寝言で「○分○秒だぞ!」って叫ぶらしいよ(笑)。たかがかけっこだけど、本当に楽しいんだよ。


みんな夢を持って「生きてて嬉しい」人生を

ありがたいことに、僕は夢を100%実現できています。実は、東京マラソンも夢の一つ。市民ランナーが走る夢のマラソン大会を東京で開催したかったから、石原都知事に直接提案して実現できました。
一番の夢だった金メダルも、オリンピックの1年前からQちゃんが取ってくれると分かっていました。長年監督をやっているから、その子と記録を毎日見てると伸びしろが見えるんです。
夢をかなえるにはチャンスをつかむことが大事。ただ、決断が遅いとチャンスを逃すと思うよ。決断には“勘”も必要だけど、勘とは運だけでなく、知識や経験が土台となって初めて冴えるもの。努力なしでは生まれないと思うんだよね。それは仕事も同じで、命がけでとことんやれば何でもできるし、夢はかなうよ。
1番を目指す生き方は、祖父の影響も大きいかもしれないね。小さい頃、「忠臣蔵」の話などをよく聞かされてたんだ。祖父は「悪い人間でも、なるんなら1番悪い人間にならなくちゃ駄目だ」っていう考えの人。それは極端だけど、闘争心や向上心が芽生えたと思うよ。子どもにとって、大人の会話は大事。その子の生き方に影響を与えるんじゃないかな。
子どもはみんな夢を持って生きている。それをさらに大きくするための道筋を作ってあげたり、後押ししたりしてあげるのが、塾頭の皆さんの役目だと思いますよ。
そしてそれは大人も同じ。みんな夢を持って「生きてて嬉しい」と思える人生を送ってほしいですね。
僕の今の夢は、もう一度金メダルを取ること。1回だと“まぐれの金”と思われても仕方がない。だからもう一度世界一になって、“本物の金”を証明しようと頑張っています。次々に夢ができて楽しいでしょ?
2016年のブラジルオリンピックを楽しみにしていてください。

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