関塾ひらく「インタビュー」 各界で活躍する著名人に教育や経営をテーマとしたお話を伺いました。
(株)アオキ 代表取締役 青木豊彦氏
誇りを持つことが原動力 子どもたちには2ランク上のチャレンジを!
 
Profile
1945年大阪府生まれ。
父親が営む青木鉄工所を手伝いながら、高校卒業と同時に入社。1995年には社名を株式会社アオキに変更し、二代目社長に就任する。農業機械に始まり、建機、造船、プラント、ロボットなど多岐にわたる領域を手がけ、1997年に世界最大の旅客機メーカー・ボーイング社の認定工場となる(以後、継続認定更新中)。2002年に東大阪のモノづくり技術を駆使して衛星を打ち上げるべく、東大阪宇宙関連開発研究会を設立。会長に就任。2008年には「大阪から世界ブランドの創出」を目指し、有限責任事業組合航空宇宙開発まいど(LLP まいど)設立、会長就任。



「東大阪から人工衛星を打ち上げる!」という壮大な計画を立ち上げ、実行させた株式会社アオキ・青木豊彦社長。バイタリティ溢れる青木社長の原動力とはなにか? なぜ人工衛星を打ち上げたのか? そして、ご自身の経験を元に、子どもたちとの接し方をうかがいました。

父の背中を見て、早く一人前になりたかった


私が高校に入学したころ、父が株式会社アオキの前身である青木鉄工所を創業しました。当時は高度経済成長真っ只中。猫の手も借りたいくらいに忙しかった。だから、息子である私も夏休みと同時に仕事を手伝わされました。
小さな町工場ですから、父も作業を行います。実際に機械を使う父の姿を初めて見ましたが、旋盤工としての父の腕前は素晴らしかったですね。「あんなふうになりたい」と感動しました。
親の背中を見て、この世界にすんなり入れたと思っています。
その後も仕事を手伝いながら、高校を卒業。早く一人前になりたいという思いだけでがむしゃらに働いていましたね。


夢や目標は声に出そう

農業機械から始まって、建機、造船、プラント、ロボット、飛行機……アオキはあらゆる分野の製品を手がけてきましたが、「モノづくり」という根幹は変わっていません。
アオキという東大阪の町工場がいかにしてボーイングの認定工場になったか。
それはロボットを扱っている頃のことです。ロボットを作る際に使用するアルミ合金がいつも納期遅れしていたので、直接、私たちがその工場に取りにうかがっていました。
すると、そこの工場長が「お宅らなら、飛行機もできるんと違うか?」と訊ねてきたのです。「そんなもん、無理でっせ」とは言ったものの、当時、会社のスローガンとして『NASAを目指そう』と言っていました。この偶然性はうれしかったですね。もしかして、本気でNASAを目指せるかもしれないと思いついたんです。
そこで、その工場長に、あるメーカーを紹介していただきました。といっても、新参者へ発注する仕事などなく、毎週一回、担当者への挨拶を一年続けました。長いこと待たされて、会うのは5〜 10
分(笑)。 これを一年続けた後、「見積もりしてみぃ」と図面を頂きました。うれしかったですね。一年間の苦労が晴れた気がしましたよ。
喜んで会社に戻ってきて図面を見たら、全部英語……「こんなん、読めるかいな」ということで、ヘリコプターの仕事をしていた知り合いに、図面に書いてある英語を解読してもらいました。その人が見たあとに一言。「青木さんとこの設備じゃ無理や。断れ」。一年かけてもらった仕事なのに断らないといけない……。「そんなん、断れまっか」と抵抗するとその人は「これを今やったら不良の山になるぞ。飛行機の部品は高価なんや」と言われ、泣く泣く、断りに行きました。
私が「すんません、これはできまへん」と言うと、担当の方は「きみらは一年もうちへ通って真面目やからと思って、図面を出したのに、どういうこっちゃ! でけへんねんな! どこがでけへんのや!」と怒られるわけです。
私は知人に聞いたポイントを説明すると「お前、なかなか図面をよう見とるやないか」と。私が驚いていると、「この仕事、きみらが『受ける』というたら取引せんとこと思っていたところや。素直に断ってきたら、取引できると思っていたんや」……私たちの会社が信用できるかテストをされていたわけですよ(笑)。ここから飛行機の仕事が始まりました。
1997年にはボーイング社の認定工場になりました。実は同時期に関東の大手企業が同じ認定検査を受けていたのですが、そこではなく、ウチの会社が認定を頂きました。
認定検査に来てくださったボーイング社のサーベイ(検査官)に、その後お会いすることがあって、「なぜウチの会社だったんですか」とうかがうと、サーベイは「青木さんのところの社員の方の目の輝きが違っていた」と仰ったんです。
『NASAを目指そう』と言って、飛行機を手がけられるようになり、世界最大の航空機メーカー・ボーイング社の認定工場にまでなった。こう考えると、夢や目標を声に出すことは大切なんだと実感しています。


チャレンジの原動力は「誇りを持つこと」

声に出して何かを話す。このことによって、誇りが生まれる。社員の目の輝きというのは、誇りがそうさせたのではないかと私は思っています。だからこそ、会社や組織のポリシーを言い続けることは大切だなと実感しますね。
日本で創業100年を越える企業は現在、2万社あるといわれています。これは家訓(経営理念)や歴史を守るという民族的な表れではないでしょうか。ただし、現代社会において、「誇り」を忘れかけているのではないかと危惧することがあります。
『ひらく』を読まれるオーナーの皆さんにも「自分は関塾に参加している」という誇りを持って、子どもたちに接していただきたいですね。それだけで大きく変わってくると思います。
誇りを持つことで、今、自分が何をすべきかが見えてくる。ある意味、誇りを持つことで、チャレンジに対して闘志が湧いてきますよね。
私が「東大阪からロケットを打ち上げる」と言い始めたのも、「3K」(きつい、きたない、きけん)と言われ敬遠されてきた製造業に若者を集め、モノづくりの面白さを味わってもらいたい、それにこの東大阪や大阪を再び活気付けたいという思いがありました。不況で後継者もおらず、泣く泣く廃業していく仲間の姿も見てきました。私はモノづくりも好きだし、この町も好きだという誇りを持っていたので、何とかして活性化させていきたいという目的を持ってチャレンジを始めました。
2009年1月23日に『まいど一号』が打ち上げられました。一つの区切りにはなったと思いますが、私のチャレンジはこれで終わりではありません。打ち上げはあくまで手段であり、目的は若者を呼び戻すことだからです。
現在、有限責任事業組合航空宇宙開発まいど(LLPまいど)を設立して、航空宇宙を大阪の地場産業にしようと考えています。
今、手がけている事例が大変面白い時期に入っています。詳細は言えませんが、もっと多くの若者がモノづくりの世界に興味を持ち、大阪が活性化すると確信しています。


子どもが受け取りやすいスピードの直球勝負で

小学校5・6年生の担任で西山先生という先生がいました。私はとにかく勉強が嫌いだったのですが、西山先生に教えてもらった算数は常に80点以上は取れていました。他の子も成績が上がっていたはずです。
その先生の指導方法はとにかく熱意があったし、生徒をその気にさせて勉強に向かわせていました。
ある時、とても難しい問題を教えてもらいながら回答しました。それは大学受験に出題された問題だったのです。あとでそれを聞いて、自信が付き ましたよ。自分にもできるんだって。
だから、時には目先のチャレンジだけではなく、2ランク上のチャレンジをさせることも大事だと思います。ウチがボーイングの認定を受けたこと もこれと同じことかもしれません。
それと西山先生は厳しかったけれど、人間的に魅力溢れる先生でした。子どもたちと真っ直ぐに接していましたね。
皆さんも日頃、子どもたちと接する機会が多いと思います。子どもは大人とコミュニケーションを取りたがっていますので、子どもたちには変化球ではなく、直球勝負で接してあげてください。
例えば、成功事例ばかり話をするのではなく、自分の失敗談を話すとか、子どもたちの話をちゃんと聞いてあげるなどしてほしいですね。
ただ、直球勝負といっても、子どもたちが受け取れるスピード≠フ直球を投げてあげてください。

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