関塾ひらく「インタビュー」 各界で活躍する著名人に教育や経営をテーマとしたお話を伺いました。
株式会社国際危機管理機構 代表取締役社長 金重凱之氏
安心・安全の提供が企業の責任になる時代
 
Profile
1969年、警察庁採用。1980年に在米日本大使館一等書記官、1990年に防衛庁防衛局調査第一課長を歴任。1993年からは細川、羽田、村山首相の3代にわたって内閣総理大臣秘書官を務める。1999 年に警察庁警備局長。「九州・沖縄サミット」などの大規模警備を取り仕切る。2001年退官。2003年に株式会社国際危機管理機構、2006年に株式会社都市開発安全機構を設立。現在、「危機管理経営アナリスト」として数多くの企業・団体などのコンサルティングを行っている。経済産業省、文部科学省など政府の委員会委員なども務める。経済同友会会員。2009 年、「核物質管理功労者」として文部科学大臣賞受賞。



警察庁キャリアとして活躍し、外務省、防衛庁(現防衛省)勤務や内閣総理大臣秘書官をはじめ、国内外のさまざまな危機管理の経験を積んできた金重氏。日米文化の違いや「東日本大震災」後の企業の震災対策について、お話をいただきました。

文化の違いは家庭教育から


海外勤務や留学、海外出張などで外国の方と接する機会が多いのですが、日米文化の違いは、子どもの“しつけ”の仕方に根源があると思っています。今はこの違いが薄れつつありますが、集団主義社会の日本、個人主義社会の米国という構図は、まだ残っています。この違いは、実は、子どもに対する日米の親の接し方からきているのです。
皆さん経験があるように、日本では、子どもがいたずらをすると、「そんな悪いことをする子はうちの子ではありません」と家の外に追い出されます。これが、親が子供に対して行う“しつけ”、社会的制裁なのです。このことから、子どもは「イエ」という集団=家族の中にいることが良いこと、集団から疎外されることは悪いことなのだと感じるのです。それは、学校や地域社会という集団でも同じです。個人ではなく集団が中心です。集団の価値観にメンバー全員が従うのです。ここでは、例えば学校では制服を着るとか、横並び=「みんな同じ」という価値観が求められ、違った行動をする人は疎まれます。集団主義社会の誕生です。
しかし、米国では、逆で「そんな悪いことをする子は外に出しません」と外出させないのです。このことから、子どもは「家に閉じ込められることは悪いこと、外に出ることは良い子と認められたんだ」と感じるのです。社会との隔離がお仕置きだとすれば、社会に出るということは一人前の人間として認められたことを意味しますから、その行動は自分自身=個人で責任を持つのです。個性が尊重されます。
個人主義社会の誕生です。
このことは、社会人になっても同じです。
まず会社に入るときの面接が違います。日本では、「貴社の○○という点に魅力を感じて受験しました」となります。そこには、会社という集団のメンバーになりたい、その価値観を共有したいとの思いがあります。一方、米国では、「私の○○という経験、技術が貴社に役立つと思って受験した」となります。私という個人を採用しないと会社は損をするぞというわけです。
会社に入ってからも日米の違いが出てきます。日本では、社員は集団の価値観になじむことになります。会社が一つのファミリーです。今は薄れてしまっているでしょうが、仕事という公的な場面だけでなく、プライベートな面でも社員旅行や社員寮があり、社員の結婚式や関係者のお葬式があれば組織を挙げて対応します。以心伝心の集団にいるのですから、懇親会で上司が部下の手をとって、「頑張ろうな」と言えば、部下は何をがんばるのか言われなくてもわかっていますから「はい」と応じます。飲酒後、誰かが事故を起こせば、「なんで最後まで面倒見なかったんだ」と集団の責任が追及されます。注つぎつ注つがれる……と集団で入り乱れて酒を飲み交わすからです。こうした文化の中で、社員は集団=会社に所属することの安心感を味わい、集団に対する忠誠心、ロイヤリティーがはぐくまれます。退職後もOB会でつながりを持ちつづけます。
一方、米国では、「頑張ろうな」と言われると、「何を“がんばれ”というのですか?自分は自分の仕事をちゃんとやっていますが……。ダメだというなら、ちゃんと指示してください」となります。言葉に出して伝え、理解し合わなければならないのです。パーティの後で事故を起こしても、それはその個人の責任です。誰も酒を強制していないからです。「では、米国人は忠誠心がないのですか」と質問されそうですが、答えは「あります」です。それは、自分自身=個人に対する忠誠心なのです。会社の仕事を覚え自分の能力を高め、さらにステップアップするために別の会社に転職する。集団=会社への未練はないのです。しかし、これが悪いとは言えません。究極的には、そうした活力が社会に還元されるからです。
集団の和を重んじるのか、個人の個性を重んじるのかは、家庭という小さな社会の“しつけ”教育から始まるのです。塾や学校も一つの社会です。知識を与えるだけでなく、将来の人間形成への重要な場として“しつけ”教育の果たす役割に期待します。


公務員として危機管理に携わる

学生時代は、民間の仕事よりも国家の仕事に関心を持っていました。
当時は学生運動の激しい時代で学内は荒れていました。そんな環境ですから、警察庁の人事担当者や先輩などの強い勧めもあり、何か使命感のようなものを感じ警察庁に勤めることになりました。
入庁したときに、先輩に「これからいろんなことがあるだろうけど、10年間、一生懸命仕事をしなさい。そうすれば、誰かが君を見ているから」と言われました。その言葉通り、頑張りました。辛いこともありましたが10年間が過ぎると、仕事も面白くなります。次の10年間も同じようにやってやろうという気になります。そして、別の先輩から「あいつに任せてお けば大丈夫だと言われるようなプロになれ」とも言われました。次の10年も頑張ります。気が付くと30年が過ぎていました。「危機」は昼、夜問わず発生しますから、とにかく、朝から晩まで、休みもほとんどとらずによく仕事をしたという思い出ばかりです。
この間、政府の留学生として米国の大学院で2年間国際政治学を学びました。外務省に出向し在米日本大使館の一等書記官として3年間仕事をしました。各省庁から出向した人たちがたくさん勤務する「ミニ霞が関」みたいな職場で大いに勉強になりました。ワシントンDCには商社関係者やマスコミの駐在員も多く、その交流は今でも続いています。このほか、防衛庁(当時)で勤務し、また細川首相、羽田首相、村山首相と3代にわたって内閣総理大臣秘書官を務めましたが、振り返るとすべて危機管理に関連した仕事でした。
退官後、その経験とノウハウを民間企業の皆様と共有したいとの思いから、現在の轄総ロ危機管理機構を、その3年後に、鞄s市開発安全機構を設立しました。


「東日本大震災」の次に来る地震への備えは

6,434人の方が亡くなられた1995年の「阪神・淡路大震災」の反省、教訓から、内閣危機管理監のポストや24時間勤務の危機管理センターが創設され、被災情報の迅速な収集方法や災害時の自衛隊派遣の運用の見直しなど、さまざまな改善が図られました。
しかし、「東日本大震災」では、津波と原子力事故という二次災害が発生しました。「阪神・淡路大震災」の教訓が生かせなかった分野です。「阪神・淡路大震災」では、亡くなられた方の83%が建物の倒壊が原因でした。「東日本大震災」では、92%が溺死です。
「首都直下地震」「東海地震」「東南海地震」「南海地震」など政府が発表している地震の発生確率は、今後30年以内に、それぞれ70%、87%、70 %、60%です。今後30年以内に皆さんが交通事故で怪我をする確率は24 %、交通事故で亡くなる確率は、0.2%です。地震の危険がどんなに高いものか、お分かりいただけると思います。
皆さんは、こうした地震にどんな備えをされていますか。


子どもたちに安心・安全を提供する責任

「東日本大震災」をきっかけとして、家族で、地域で話し合う必要があるのではないでしょうか。また、 子どもたちが集まる教室は、安心・安全を提供する責任があると思います。地震や台風などの自然災害は、その発生を防ぐことができません。ですから「防災」ではなく、発生を前提にした「減災」(被害の最小化)を図るべきです。教室の耐震化や机、椅子などの固定化が大切です。今後は、教室を開設するときには、どんな建物を選ぶのかもポイントになるでしょう。同時に、教室として地域の避難訓練や防災活動に参加し、ともに助け合う意識を高めていくべきでしょう。
安心・安全の提供が、企業の責任になる時代が到来しているのです。

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